2019/08/09

2019年8月 時任美乃理(京都大学森里海連環学教育研究ユニット 特定研究員)

 高校時代に抱いていた夢は報道記者になることでした。学部時代にはネットニュースの会社でアルバイトにいそしみ、ニュース記事の見出しをつけたり、ランキングサイト用のアンケートページを作ったりしていました。元新聞記者のデスクたちに鍛えられ、たくさんの記事に触れる毎日。当時はまさか自分が研究者になるなど微塵も想像していませんでした。ところが夢中で記事を読み漁る中でいつしか、もっと詳しく知りたい!という、記事の世界に収まりきらない探求心が芽生えました。まだ見ぬ世界をこの目で一番に見たい、人に伝えるよりまず自分が知りたい、というなんとも身勝手な研究欲が生まれてしまったのです。

 それがついに爆発したのは、学部時代の指導教員に連れられてボルネオ島サバ州を訪れたときのことです。生まれて初めて知った東南アジアの空気、匂い、音。強烈なスコールの中、川を越え、山道を歩き、小さな少数民族の村にたどり着いた時、わたしは自分で勝手に作りこんでいた理想の将来像が一気に破けるのを感じました。それまで自分が見ていた世界がどれほどちっぽけなものだったか、どこまで自分は無知なのか、痛感したのです。自分の常識がひっくり返される世界はとてつもなく心地よく、もう少しだけこの世界で勉強したいと思いました。思えばあの調査旅行こそ、わたしが研究の世界に踏み入れた最初の一歩だったのだろうと思います。

 大学院へ進んでからは、とにかく東南アジア漬け。特に修士一回生の頃にはタイ北部の山岳少数民族パガニョ(スゴ―・カレン族)の農村に約半年間住み込み、いまや絶滅危惧的景観と言ってもよいような広大な伝統焼畑を駆けずり回る日々を過ごしました。最初は身振り手振りから始まり、少しずつ現地の民族語を覚え、食べて飲んで働いて、最後には日本語が思い出せなくて言葉につまるくらい、現地にどっぷり染まりました。今になってみると、あんなにも純粋な視点で何にもとらわれず現地に住み込める時間など、これから先はあり得ないだろうなと思います。自然があってこその人間、人間がいるからこそ成り立っている自然。当たり前のようで、実は多くの場合に見過ごされてしまっている人と自然の関わり合いを、わたしはパガニョに教えてもらいました。

 その後、研究の舞台はベトナムへと移り、今度はまさに農村開発の波にさらされている山岳農村で調査活動をするようになりました。そこに暮らすカトゥー族は、かつてはパガニョと同じく焼畑を営んでいた少数民族でした。しかしさまざまな社会変化の中で彼らの土地利用は劇的に変化し、生活環境や文化は市場経済化の影響を強く受けていました。全く異なる生活環境をしたその村で、私もいろいろなことを考えさせられました。伝統的で自然がいっぱいの村こそ理想的で、市場経済化が進み生活習慣が近代化した村は残念な村なのか?パガニョの村は文化的に遅れていて、ベトナムの村の方が発展している豊かな村なのか?いずれも違うでしょう。地域の人々は、時代の波にもまれながらもその都度「選択」し、今日まで生活を営んできました。地域の暮らしや環境は、「選択」が積み重なってできた歴史であり、千差万別。ゆえに、どんな地域にも独自の異なる課題があり、型にあてはめられるような研究アプローチも、特効薬もありません。ある地域では成功した方法も、また別の地域では機能しないことなど日常茶飯事。この無限の研究ポテンシャルに、大学院時代のわたしは時に苦しめられつつ、いつしかすっかり夢中にさせられてしまったわけです。

 2018年の春、地球環境学の博士号を取得し、なんとか研究者として生きていくパスポートをいただきました。専門は地域計画学です。未だ見ぬ世界を見てみたかっただけのミーハー女子学生でしたが、さまざまな国でさまざまな人と出会い、そこで暮らし、生き方を学び、今ようやく研究者の世界の端っこに立っています。人と自然がバランスよくWin-Winな形で共存していくためにはどうしたら良いのか?実際の現実社会の中で役立てることができる処方箋を打ち出せるように、地域に寄り添った調査研究を、これからも続けていきたいと思います。

パガニョの村にて
焼畑に蒔く種
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